大柵欄 Dashila at night

by elmarit

大柵欄は前門大街につながっているかつては北京随一の繁華街だった。現在でも、北京の老舗と呼ばれる店が軒を連ねる。薬の同仁堂やお茶の張一元。北京の初めての映画館もあり、現在でも映画館だ。

大柵欄の謂われは、明の時代から有名な繁華街、赤線地帯だったので、盗賊も多く、夜になるとほとんどの通りは柵をして防衛していたが、大柵欄の通りの柵はかなり大きかったからということだ。

1900年の義和団事件の際にはこの辺り一帯や前門そのものも焼き討ちで灰燼に帰したということで、その後モダンな様式を取り入れて再建されたそうだ。それをさらに昨年初めに通りを完全に閉鎖して改築、改造が行われ、 前門大街のようにピカピカの通りに生まれ変わった。

現在読んでいる本によれば、義和団事件の際に被害にあったのは外国人だけではなく、かなり多くの中国人が含まれていたらしい。外国人を相手に商売しているような店は真っ先に攻撃されたそうだ。当時実権を握っていた西太后はこれを取り締まるどころか、外国勢力排除のために野放しにしたので、中国人にも大きな被害がでて、前門大街周辺でも中国人の死体が街にうずたかく積まれる状況になったという。

このため、日本を含む八カ国連合軍が介入して義和団を攻撃し、その後も駐留をおこなった。前門大街の周辺の警備を行ったのはアメリカ軍で、マニラから部隊が来たそうだ。このアメリカ軍は略奪など行わず治安維持を行ったので、翌年撤退する際には地元住民から駐留を継続するように要請されたということだ。侵略軍が地元の人から感謝されるというのは変な話だが、義和団が中国人に与えた被害や恐怖を窺い知れる。

前門大街は店が戻っていなくてゴーストタウンだが、 大柵欄は賑わっている。昨年の長期の閉鎖の際にも、裏口で営業を続けたりしていたが、やはり日本で言えば銀座のような場所でブランドなのだろう。

今回の部分の大柵欄は、車の交通が止められた前門大街の代わりにできた新しい道で分断された東側で、昨年化粧直しをした有名店や老舗が並ぶ通り。私が好きなのは西大柵欄で、名前は同じで西側ということだが、西側は高級ではない店やレストランがならぶ古い通りで、そちらの方が遙かに雰囲気が良い。ただし東も西もメインの通りの南北には古い胡同が広がり、古いまま残されているので、そちらも雰囲気がある。

*大柵欄は普通の中国語では、Dazhalanと発音するらしいのですが、北京の人は昔からDashilaと言うそうです。Dashilanではという指摘も頂きましたが、私の周辺の中国人はDashilaと発音するので修正しませんでした。

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