香廠路の市場 Xiang chang lu street market #1

by elmarit

北京の中心部にある旧内城と外城の形は、凸の形をしている。バランス的には上部が凸の字のバランスより大きい。現在の北京の形は、明の時代の15世紀前半の内城の建設と16世紀中頃の外城の建設により決定された。明の時代の遷都により北京が再び都となった後、元の時代の北京、「大都」をやや南に移して内城が建設された。現在の故宮はこの時に建設されている。元の大都の時代の宮殿は破壊されて、風水の考えで気を封じ込めるために上に土を盛った。これが現在の景山公園だそうだ。北京の市街は、遼や唐の時代にはやや南西の位置にあり、それ以来何度か動いたが、明の北京建設以来は動いてはいない。

16世紀中頃、モンゴルの襲来に悩んだ明朝は万里の長城の整備も進めたが、同時に北京の守りを固めるために外城の建設に着手した。ただ資金難のために内城の南側のみ建設され、これが凸の字の底部となった。元の時代から、このエリアには城内に住めない庶民や商人が街を作って来たし、なにより元以前の時代には南西部が北京の街だった。

長々と書いたのは、前門の南側、天壇公園の西側のエリアが好きで時々、散歩に出かけるが、このエリアは元よりも前の時代から続く古い町で、明や清の時代にも内城に住めない庶民の街だった雰囲気が残っている(ような気がする)からだ。この辺りは、北京の旧内城の街、例えば后海のエリアとは全然違う感じがする。

香廠路の市場と私が呼んでいる路上市場に偶然足を踏み入れたのは昨年の前半だった。いつものように琉璃廠から南に歩き、珠市口西街の大通りを越えて、たまたま入った胡同を東に歩いて行ったら偶然、この市場に行き当たった訳だ。それ以来、このエリアに来た時には覗いている。

市場というか商店街は、香廠路と留学路のT字路を中心に店が並んで、路上にもたくさんものが売られている。今回は、北側の留学路から南下した。なので、香廠路の市場というタイトルだが今日の写真の辺りは留学路だ。私が勝手にこの辺りを香廠路の市場と呼んでいるだけなので、多分地元の人は別の呼び方をしているかも知れないが、ここでは香廠路の市場ということにしたい。

最近知ったのだが、このエリアには日本の痕跡がいくつか残っている。戦前の日本の進駐、占領時代に日本人もたくさん北京に移って事業を始めたようだ。その時に建てられた建物が残されている。縦位置の写真の建物もその一つで日本人の建てた建物だそうだ。中国風でも日本風でもない不思議な形をしている。東京の下町にある古い商店のような感じだ。

この項続く

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