鶏鳴駅村 #1 

by Shogo

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週末に鶏鳴駅村に出かけた。鶏鳴駅は、河北省張家口市にあって、「元」の時代に作られた道の駅だ。巨大な帝国を築いた元は、交通や軍隊の基地を各地に置いたそうだが、鶏鳴駅もそのひとつ。 騎馬民族だった彼らは、長い伝令や行軍の際に、馬を交換したり休ませたりする場所を必要としたそうだ。そのために、各地に同じような駅を作ったが、良い形で保存されているのは、この鶏鳴駅村ということだ。

ジンギスカンが駅の元を作ったらしいが、これを整備したのはフビライ汗という説明だった。13世紀の初めの話だ。

北京よりバスで3時間近くかかって着いた。北京から西の方向で、八達嶺の万里の長城を過ぎて延々とバスに揺られて河北省まで入った。遠いので、実際に村にいたのは4時間弱だが、なかなか興味深くてたくさんの写真を撮ったので、この村を暫く紹介する。

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元の時代に起源があるが、現在ある城壁が築かれたのは明の時代の今から600年前のことだ。高さ11メートルの城壁が500メートル四方に築かれて、村を囲んでいる。明や清の時代には、宿場町、郵便や馬の基地として使われ、中華民国が成立する100年前まで交通の要所として賑わったらしい。その500年間がこの村の繁栄の時期だったのだろう。

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 城壁が築かれたのが、明の時代というのが面白い。元は交通の基地として使ったが城壁を必要としなかった。それは、多分、彼ら自身が北からの侵略者であるので、北からの侵略を恐れていなかったからだろう。

そういえば、万里の長城を強化、整備したのは北からの侵略を恐れた、明の皇帝だ。さらに、初めに長城を作った秦の始皇帝も北方の騎馬民族が秦を滅ぼすと信じていたそうだ。

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城壁に囲まれた村には古い民家や寺、学校、宿屋が残されている。名前の由来になっている、皇帝が鶏の鳴き声を聞いたという鶏鳴山が村の向こうにかすかに見える。

家々はかろうじて建っているものもあるが、中には完全に崩壊したり、半壊だったりする家もたくさん見かける。

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この東門の辺りは最近修復されているせいか、壊れたところは見かけない。

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 村を東西に貫くメインストリートの端が東門と西門になっている。聞き漏らしたが、北にも南にも門は無いようだった。

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 メインストリートといってもあまり人は見かけない。最も暑くて少し歩いただけで汗びっしょりなのでほとんどの人は日中は家で休んでいるのかもしれない。

遠くに西門が見えている。

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城壁は土壁で外側の表面は煉瓦で守られている。北京の城壁も初めに元が作った時は単なる土壁だったそうだ。

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 一辺が500メートルという説明だったが、何もない場所なのでもっと遠く見える。

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 家か城壁の修復をするのか、煉瓦を満載した軽トラックが坂を登れず黒い煙を吐いて苦しんでいる。

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 村には平屋以外の建物はないように見える。

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 壊れた家の中に修復された家が混じり、生活の気配が見える。捨てられた村に見えるのは私の目のせいで、確実にたくさんの村人が暮らす場所なのだ。1000人程度が暮らしているそうだ。

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とは言え廃墟がそこかしこに見えるので、中世の遺跡としか見えなくても無理はない。

 この項続く。

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