漱石の下宿まで歩く

by Shogo

時間があったらロンドンで行きたいと思っていた場所は2つあった。映画の「ノッティングヒルの恋人」のノッティングヒルと夏目漱石が住んだ場所だった。

時間があった週末に、バタシー発電所から漱石の最後の下宿のあたりを通り、ブリクストンまで歩いた。漱石が作品に書いている、彼が感じた寂しさや孤独を想像しながら静かな住宅街を歩いた。

チェルシーまでバスで行ってテムズ川にかかる橋を渡った。バタシー発電所も見たかったからだ。もう何度も見ているが、この巨大な発電所は魅力的だ。近代と火力発電所と時代遅れを同時に感じる。それは、きっかけはPink Floydのレコードジャケットからだが、今や自分のロンドンの象徴だ。

大きな煙突は、もちろん漱石の時代にはなかった。だが、下宿からトラファルガー広場まで歩いたことを思い出して書いているから、その時にではないにせよ、このバタシー橋も通ったかもしれない。あるいは、ターナーを見にテート美術館まで行くときに渡ったのかもしれない。どの橋にせよ、テムズ川を見て、彼は寂しさを感じたと想像する。

バタシー発電所のそばを通って、漱石の下宿へと向かう坂道を歩く。彼が滞在した下宿の一つは、81 The Chaseという住所とネットに出ていた。このエリアは、大通りからさらに坂を登った静かで閑静な住宅地だ。漱石がこの地を歩いたと思うと、ロンドンで神経衰弱になった漱石の気持ちを感じる。地球の裏側からやって来て、たった一人ぼっちでこの坂をあるいたのだと。

漱石の下宿からさらに進むと、様々な風景が広がる。道沿いに立ち並ぶ建物や公園、通りを行き交う人々の姿。しかし、漱石がロンドンにいたときと現在とでは、ロンドンの街の様相は変わってしまっているかもしれない。でも、このエリアの変化は少ないだろう。当時の下宿の建物もそのままだ。だから、このエリアは漱石が見た風景と大きくは変わっていないかもしれない。

大きな公園、住宅地や商店街を抜けて写真を撮りながら30分ほどでブリクストンに着いた。

ブリクストンは、多文化が共存するエリアであり、音楽や食文化など様々な要素が混在している。しかし、漱石の時代は、イギリスの植民地政策の結果としての移民の流入が、今の規模では、まだ起きていなかっただろうから景色は違うだろう。これは20世紀後半の現象だ。

漱石がロンドンで感じた孤独と寂しさは、彼の作品にも反映されている。彼は作品のテーマは、近代人が抱える孤独や内なる寂寂だ。それは、あの坂を歩きながら一人でロンドンで、心を病むほど自身の感情と向き合ったからかもしれない。

写真は、ブリクストンの広場。

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