キース・カーターの幻想世界

by Shogo

キース・カーター(Keith Carter)の写真を初めて見たのはいつだったか思い出せない。そう古い話ではない。多分北京にいた頃かもしれない。初めて作品を見た時に、カメラの詩人と評されることもある彼の作品の、夢のような幻想世界に驚いた。特にアメリカ南部出身の彼の作品は、南部の魔術的な雰囲気を色濃く反映しているようだ。

彼は、ボケやソフトフォーカスや歪みを用いて現実を夢のように転換してしまう。そして、セピア調の色合いが独特の温かさを感じさせる。被写体は、子供や動物などが多く、夢のようなモノクロの世界の作品の中にリアルな存在感を持って定着されている。ボケて、はっきりと写っていなくても、主題として浮かび上がっているようにも見えるのだ。

キース・カーターの技法は、写真から想像するといくつかポイントが挙げられる。まず基本的には中版や大型カメラを使い、被写界深度をコントロールしたり、レンズを開放で使って中心に鮮明な焦点を当て、周辺部をぼかすことで夢のような世界を実現している。また、いくつかの作品では、極端な周辺減光やレンズのケラレがそのまま作品化されている。

それから逆あおりも多用される。逆あおりは、レンズをカメラボディーに対して傾けたり、移動させることにより平面焦点とは違ったフォーカス面を作り出すことによって、写真の一部だけに焦点があった、それ以外のところは意図的にボケた状態にする。

この技法を使う写真家としては、他に本城直季さんのミニチュアシリーズがある。しかしながら、キース・カーターは、本城直季さんと違い、風景のミニチュア効果ではなく、人物にも、この技法を使っているところが新しいところであろう。そのようなボケや周辺減光、逆あおりを使って、写真の中に視覚的な階層を作り出している。これが世界を幻想的な雰囲気に作り替えている秘密だ。彼の作品を見たときに現実を超えた物語性を持ったイメージを感じる所以だろう。

写真の目的の一つは、現実を、ある瞬間、画角・被写界深度を使って編集することだ。彼のアプローチはその1つの方法論と言うことになる。彼の作品に憧れて似たようなものを取ろうと努力していた時期があった。人物に逆あおりを使った作品を真似して、ショーウインドーのマネキンを作ったシリーズを撮っていたことがあった。これはハッセルブラッドのFlex Bodyを使って、逆あおりの写真を撮ったものだ。このシリーズは、自分でも気に入ったもので、かなりの枚数を撮った。

https://oldcamera.jp/

しかし、このシリーズも白岡順先生の講座に通い始めた頃から、先生の「現実を正面から見ろ」と言うアドバイスに従って、逆あおりや極端なボケを使うことをやめたので、その後は撮っていない。あのハッセルブラッドのフレックス・ボディもどこかにあるはずだが、最近は見ていない。

自分では撮らなくなったが、キース・カーターの写真を見るのが好きなので、何冊かの写真集を買って時々見ている。キース・カーターは現役の写真家で著作権も切れていないので、紹介することができない。だから、アメリカのギャラリーのウエブの写真から彼の作品について考えてみたい。

「少年と鷹」は、彼の特徴的なスタイルが色濃く反映されている。被写体は、ぼんやりとした背景の中で、鷹と見つめ合う少年だ。全体に漂う夢幻的な雰囲気は、カーターの写真によく見られる、自然の持つ魔術的な世界観を示している。

構図は、周辺のケラレを使って中心に視点を集め、視覚的なバランスと緊張感を生み出している。被写体は、少年と鷹が互いに対峙しているように配置されており、被写体の交差が対話を想起させる。鷹が鋭く明確に焦点を合わされているのに対し、少年の顔はぼかされて手が当てられるために、彼の感情や反応を直接的には読み取ることができず、それが想像力をかき立てる。我々に想像の余地を残し、写真に物語性を与えることを意図しているものと思われる。

また、写真のトーンとコントラストは、シンプルながらも強い印象を与える。光と影のコントラストが効果的に使用され、鷹の姿が強調されているのに対し、少年は影の中に溶け込んでいる。これにより、見る者の注意が鷹へと自然に導かれる。この作品には、生と死、自然と人間の関係性など、カーターの作品に共通するテーマが色濃く表現されているようだ。

https://www.all-about-photo.com/photographers/photographer/778/keith-carter

「鉄道駅」は、駅のプラットフォームで撮影された、人物のシルエットを捉えている。キース・カーターの作品に見られる典型的なスタイルの一つで、シャープな焦点とぼやけた要素が対照的に使われている。浅い被写界深度を用いることで、人物とその周囲の環境との間に強い視覚的な区別がついている。これにより、人物はその空間において際立った存在感を放ちつつも、周囲の環境と一体化しているようにも見える。

構図は、人物が画面の右側に位置し、プラットフォームと天井のアーチが左へと延びることで、視覚的な動きと深みを生み出す。これが、作品にダイナミズムを加えると同時に、人物の孤独感を強調してるようだ。

光と影のコントラストは、駅の繁忙感と人物の孤立感という二重性を際立たせ、天井の光のパターンは、技術的な精度と美学的な美しさを兼ね備えている。そして、一方で、人物のシルエットに過ぎず細部が見えないことで、想像の余地を残し写真にドラマ性を与えている。

「足ひれ」は、水辺に座る少年と水面の対比を捉えている。少年はスノーケルと足ひれを着けて、海の前に座っている。シャープな焦点が少年の顔と足ひれに合わせられている一方で、背景は意図的にぼやけており、少年の姿だけが鮮明に際立っている。

これにより、少年の表情と身振りが強調され、無邪気さと冒険心を象徴しているようだ。焦点が合っている部分とそうでない部分との間の鮮やかなコントラストは、他の作品と同様に、見る者の注意を少年に引き込む。

背景のぼやけた水面は、未知の世界への扉なのだろう。少年の期待感を強調する効果がある。彼の作品は、日常的な瞬間を神秘的で詩的な視点から捉え直す。ここでも、少年の純粋な楽しみに満ちた姿をドラマチックに捉えることで、少年時代のある瞬間を永遠に封じ込めているようだ。

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