虚構の日常と祈り

by Shogo


あの日まで日々の暮らしにどっぷりと浸かって暮らしていたが、日常生活ということがフィクションだったということを思い知らされた。今の今が永遠に続かないことは知ってはいても、変わり映えのしない日常が今日にも終わるかもしれないことを初めて実感したのだった。

3月11日午後2時46分、オフィスにいた僕は長い大きな揺れの中で恐怖を感じて立ちつくした。

良く言うように、それまでの人生が走馬灯のように駆け抜けた訳ではないが、人生がそこで終わる可能性が頭をかすめた。でも、本当の恐怖はあわててつけたテレビの映像からだった。津波で破壊される街をリアルタイムで見たのだ。長い時間歩き続けて、夜になって歩いて帰宅した後も朝までテレビを見続けて短い眠りの後も呆けたように、テレビで繰り返される破壊の映像とテレビには映らない多数の人の死の影を見続けた。そして原発の水素爆発。東京にいてさえ、想像できる恐怖のレベルを超えていた。

現地で家を街を失い肉親を友人を隣人を失った人々の感じた恐怖や悲しみは、さらにそのレベルではない。当事者でなければ誰にも想像もできないだろう。普通の生活をしていれば、僕らは無力だと感じる時はそう多くはない。不遜で傲慢でなくても、自分の人生をコントロールして思うように生きていると誤解して生きていくのが、僕ら人間だ。

前に自分が無力に思えたのは娘が生まれた時の一度だ。妊娠が分かって生まれるまで、いや生まれた後でも何もできなかった。家内について行った超音波による診断で、おなかの中の子供を画像で見せてくれた医者は「顔も指も心臓も問題ない。Thank Godだ」と言った。一瞬、意味が分からなかったが、自分のコントロールできない何かしら大きな力によって生かされていると知った初めての瞬間だった。

たくさんの映像、画像をあの日以来見てきた。この災害の非情さを感じるのは壊れた街や家ではなく、悲しさや恐れで頭を垂れる人の姿だ。それは、何か分からない大きな力を感じるように祈る人々の姿だ。私たちの「日常」と呼ぶ誤解が、本当に壊れやすい、もろいものだと、その映像と画像が教えてくれる。

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