「名もなき者」(A Complete Unknown)

by Shogo

ようやく「名もなき者」(原題: A Complete Unknown)を見てきた。既に13日まででロードショーは終わり小さな小屋での公開になっていた。やはりノーベル賞を取ったとは言えボブ・ディランには圧倒的な人気は無いようだ。

この映画は、ボブ・ディランの若い日を描いており、伝説になっているニューポート・フォーク・フェスティバルでのエレキギターを持って演奏したために聴衆からブーイングを浴びるところまで、彼の音楽の展開を中心に物語が進んでいく。

ジェームズ・マンゴールド監督が手掛けたこの作品は、1961年から1965年にかけてのディランの人生だけに焦点を当てている。ニューヨーク到着から、フォークミュージックのスターになる過程、そして1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでエンディングを迎える。

まず、素晴らしいのは、主演のティモシー・シャラメだ。ボブ・ディラン役を見事に演じきっていた。それは、本人の若き姿としてリアリティーがあるし、何よりも、やや声は太いものの、彼の声や歌唱スタイルを再現していた。エンディングクレジットによると、が曲ごとに指導者がついていたようだ。

映画は、ディランがニューヨークに到着し、彼の音楽的アイドルであるウディ・ガスリーに会うところから始まった。そこから、ピート・シーガー(エドワード・ノートン)やジョーン・バエズ(モニカ・バルバロ)など、当時の著名なフォークミュージシャンたちとの出会いや、彼らとの関係性が描かれていく。エル・ファニングが演じるシルヴィー・ルッソ(実在のスーズ・ロトロがモデル)との恋愛も描かれる。セカンドアルバム「フリーホイーリン」のジャケットに一緒に写っているスーズ・ロトロの名前を変えることが、ディランの唯一の条件だったようだ。

ティモシー・シャラメ以外の他の出演者も自ら歌っているのだが、特にピート・シーガー役のエドワード・ノートンの歌も本人にそっくりだった。

それから、映像や色調が美しい。1960年代初頭のニューヨークの雰囲気を見事に再現している。グリニッジ・ヴィレッジのフォークシーンや、また、キューバ危機やケネディ暗殺、公民権運動など当時の社会情勢が丁寧に描かれており、ディランの初期のプロテストソング時代の背景が丁寧に説明されている。

映画の中では、私の知っている事実と脚色が巧みに織り込まれ、エンターテイメントとして成立している。しかしながら、不満点としては、ディランの内面や動機付けについての掘り下げが浅く、彼の複雑な人格を十分に描ききれていない印象がある。これは、時系列的な展開が、2時間と言う長い映画でも、その中に収めるために若干散漫で、ストーリーの焦点が定まりにくいということもある。もちろん、本人の承諾が必要だから踏み込めないという理由もあるのだろう。

それでも、これまで読んで知っているような、例えばアル・クーパーがなぜオルガンを「ライク・ア・ローリング・ストーン」で弾くのかと言うシーンが挟み込まれて、ファンとしては楽しい展開だ

本当は、ファンとしてはディランがニューヨークに着く直前のあたりから始めてもらえば、彼がどのように成長してきたのかよりよくわかるのだが、それは本人も自伝でも語っていないし、あくまでも謎ということなのだろう。この作品は、ドキュメンタリーではなく、2時間のエンターテイメント作品だから、そのような希望は不適切かもしれない。

映画の中では爆音をあげながら走るオートバイで疾走するディランの姿が度々登場する。これが60年代のアメリカと言う、ある意味熱狂と危機の出来事が起こった時代を疾走したディランを象徴しているのだろう。最後のシーンもウディー・ガスリーの病院からオートバイで走り去っていくディランの姿だった。

そして、その直前のシーンでは、ガスリーから与えられたハーモニカをディランが返そうとしてガスリーがそれを止めると言うシーンが描かれる。それはディランがフォークの世界から決別して、新しい自分の音楽向かおうとしている意志を明確にするためにハーモニカを返す。だが、ガスリーはそれを止めて、フォークであろうとなかろうと、自分の後継者として引き続きディランの音楽を追求しろと言う意味があったのだろうと思われる。

2時間の長い映画にもかかわらず、好きな曲が本人の曲に近い形で再現されるために時間の長さを感じずに最後まで楽しめた。これはもう一度見なければいけないだろう。

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