知人から勧められた、目良 敦さんの写真展、「はじまりと終りのあいだ」を見に有楽町に行った。話に聞いた通り良い展示でたくさんのインスピレーションをもらった。日常の風景を写した写真は、特に具体的な意味を持つこともなく、光を意識して撮られた好みの写真ばかりだった。
作品紹介に、「確かに過ぎ去った光景ではあるが、現在と時に未来とつながっている」とあった。だが、むしろそれよりも、光を見せることで、今の今が常に失われていく寂しさが感じられた。
時間があったので、丸の内中通りをフジ・イメージング・ギャラリーまで行った。貴志川線の写真が展示されているのをネットで見つけていたからだ。
その写真展、森誠写真展「風のゆくへ」は、故郷の和歌山県の貴志川線を撮ったものだ。貴志川線は、和歌山市から紀の川市にかけて走っている単線の電車で、かつては南海電車であった。南海が撤退後は、現在は和歌山電鐵の運営になっている。猫が駅長している事で有名になって、県外から観光客も来ると聞いている。写真は非常に美しく撮られており、貴志川線と周辺の風景、出来事が生き生きと伝わってくる。
この展示にまとめられた写真は、時間と労力と技術だけではなく、貴志川線の空気感や光陰を感じさせずにはいられない。多くの人に写真を見る喜びをもたらすだろうと思うし、あるいは人によって、撮り鉄の既視感から逃れていない写真にも見えるかもしれない。
森さんの撮った美しい写真に定着された、様々な貴志川線やその周辺の風景を見て、故郷と過去を思い出していた。貴志川線は、母の実家に行くために、幼い子供の頃よく乗っていた鉄道だ。写真のキャプションの地名を見ながら、それぞれの場所について、たくさんのことが思い出される。純粋に写真を見たと言うよりも、その写真をきっかけとして、自分の過去の思い出がよみがえってくるような写真体験だ。写真を見ているのだが、実際に見ているのは自分の幼年時代だ。自分の頭の中の過去の風景だ。
目良さんの写真は、写真の写真としての意味を鮮やかに定着させたものであった。これに対して、森さんの貴志川線の写真はまるで過去の記憶への招待状のように自分を過去へと引きずり込んだ。
1秒未満で捉えられた、少し前の現在の瞬間が、その固定されたイメージを通じて、私を過去の自分へ連れて行く。ソンタグは、写真は死へ向かう時間の目録だと言った。まさに貴志川線の現在の写真は、私にとって永遠に失われた過去の記憶を追体験させる。
写真が何かを撮ったものである以上、その捉えた対象物は、見る人にとっては何かの意味を持つ。その意味で目良さんの日常風景は私には何の意味を持たないために純粋に写真として楽しめるのに対して、貴志川線の写真は私にとって意味を持つが故に純粋に写真として見ることができない。
多くの人にとっては、森さんの写真は、私の幼年時代の貴志川線と言う参照元を持たないために、それ以上でもそれ以下でもない。その意味で私にとっては、バルトの言う刺し傷(プンクトゥム)であり、ソンタグの死すべき運命の一部として心に響く。私にとっては、薄れつつある50年以上前の遠い過去の記憶を呼び戻す。だから、写真を見ていても写真を見ていない。見ているのは、遠い過去の時間だ。結果として、メメント・モリを感じる。それが刺し傷なのだろう。
目良さんの写真のような、優れて客観的に構成された表現としての写真を見て、それから、個人的な時間を思い知らされる写真を見た。期せずして、写真の対極にあるような体験をすることとなった。