AKIRA

by Shogo

そうたくさん飲んだわけではないが今朝は起きられなかった。いつどおりエルは正確に6時に起きたのだが、一緒に起きられずエルをリビング連れて行ってもう一度寝てしまった。正月疲れか、また一つ年をとったためか。今朝は休みだが早く出かける用があり、そこから別件もあるので帰りは遅くなる。あす明後日は完全休養が必要そうだ。

昨年は週に2冊の本を読むと決めたのだが、大体達成できたようだ。英語の本などは時間がかかるが、新書もたくさん読んだので、新書なら1日かからずに読んでしまうし、週末ならすぐだ。

ということで今年も週に二冊を維持しようと思っている。でも問題は何を読むかだ。残りの時間も限られているのだから、できるだけ計画を立てて読みたいものだ。それで新年の一冊目は「AKIRA」にした。震災の影響が進む中、「ブレードランナー」や「風の谷のナウシカ」それから「AKIRA」の、すべてが終った後の世界が気になって最初の2つは映画で見たのだが、「AKIRA」はまだだった。正確に言うと6巻の最初を読み始めたのは年末だが読み終わったのは正月なので、今年読んだ本に入れられる。

20年ぶりに読んで思うのは、その圧倒的な暴力と破壊の世界のスケールは変わっていないこと。都市はもちろん社会も秩序も、月さえも破壊されてしまう。いまならAKIRAや鉄雄を原子力発電所に喩えてしまうが、書かれた80年代には何をイメージしたのだろうか。後知恵で言えば、バブルの時代の物質至上主義に対する精神世界の提示かもとか、究極の繁栄の日本に対する崩壊の予感かもとか、80年代の日本の状況から考えるが、大友克洋本人は何を書きたかったのだろうか。

言えることは世界観は、間違いなく先行する「ブレードランナー」や「未来世紀ブラジル」と言った作品のレトロフューチャーの影響を受け、新型爆弾爆発後の世界ということで「ナウシカ」もイメージしていただろう。ただし、「AKIRA」ではそれが新型爆弾でなかったことは途中で明らかにされる。でも、「AKIRA」がほかと決定的に違うと感じられるのは、オートバイに象徴されるスピード感かもしれない。

そのスピード感は、金田と鉄雄という二人の主人公の対立の物語としてシンプルにまとめられている。オープニングとエンディングの金田がオートバイで走っているように、破壊された世界は、早いスピードで走り去るオートバイに置き去りにされる。社会も秩序も制度も崩壊しているが、そこに生きる金田たちが自分の本能と好みで生き方を選べる自由、それがオートバイに象徴されているのかも知れない。

どんな作品も作者の意図とは関係なく読み解く自由があるのだから、今回は「AKIRA」はオートバイだということにしておこう。たぶん、このところ個人的にオートバイが気になっていることが影響していると思われる。

それから、もう一冊読んだのは、「表象と批評」加藤幹郎。今年は、加藤幹郎さんの本を読んでみようと決めたのでその一冊目。もう出かける時間なのでコメントはないが、とりあえず見なければいけない映画が「レベッカ」とか「ほしのこえ」とかいくつかできた。

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