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東交民巷は、長安街の南側を東単から天安門広場まで通っているそう広くは無い道路。この通りを歩くと、西洋風の建物がたくさん目にする。この通りは、19世紀から北京の公使館街で、1900年の義和団事件の際には外国人がこのエリアに籠城したそうだ。その時の出来事に題をとったのが「北京の55日」
義和団事件の終結後、清朝は莫大な賠償金とともに各国の軍隊の駐留を認めされられた。、日本はそれから北京に軍隊を駐留させ、中国との戦争に進んでいく。
義和団事件の後、 東交民巷は本格的な大使館街として各国ともに大規模な大使館を建設した。各国ともに自国の伝統的なあるいは有名な建物をモデルに建設を行ったために、この通りは北京の中にあって不思議な雰囲気が残っている。
写真の四川料理の建物は昔のフランスの郵便局だそうだ。赤茶と白のストライプの建物は元は横浜正金銀行。日本の大使館はこの通りでなく交差する正義路にあった。現在は北京の市政府の建物として使われているため写真を撮っていない。門の前に武装警官が厳重な警備を行っている。撮影と言えば、この通りを歩きながら写真を撮っていて、私服警官がやってきて写真を撮るなと言われたことがあった。現在の北京では珍しいことだろう。
夏には緑のトンネルになって散歩するには静かでよくこの通りを歩いた。夏には最初の写真の教会の姿は緑に隠されていて全体をみるのが難しいが、冬の間にはこのように見ることができた。