珠市口大街 #1

by elmarit

日曜日は土曜日の青空に雲がかかり、時々日が差したり青空が見える天気になった。しばらく外を歩いたが寒さが帰ってきたように感じた。今日の元宵節で花火の解禁期間が終るので、花火は昼間から始まり、夜には最高潮になった。後は今日の月曜日を乗り切れば静かな夜が帰ってくる。

土曜日の前門の続き。前門大街は珠市口大街に南側で交差する。珠市口大街は前門大街の交差点を境に、珠市口東大街と珠市口西大街と名前が変わる。この珠市口という名前は、真珠の市場の入り口という意味だが、ガイドブックによれば真珠の市場はここになく、元々は豚の市場がこの近くにあったそうだ。清の時代に豚の市場は無くなったが、名前は残り、豚を意味する「猪」とまったく同じ発音で四声も同じ「珠」に漢字が変わったということだ。きれいな物を想像できる名前の方がいいということだろう。(中国語では「猪」が豚の意味です。では日本語の猪は何と書くのか知りません。調べておきます)

前門の工事のための目隠しの塀はまだ残っているが、オリンピックや前門の通りの完成予想のパースなどは剥がされて、解体されるのを待っているようだ。一枚だけ舌のように垂れ下がっているのが意味もなくおかしかった。

この通りも他の多くの通りのように、道のそばに壁が築かれて奥の胡同などが見えない目隠しとなっている。ただ、ここの様に落書きにも見える壁画が描かれた壁は他ではみない。減されていないということを考えると落書きでは無いのだろう。

この辺りにはかつてはモダンな建物がいくつもあったそうだ。大柵欄が赤線地帯や繁華街だった頃、日本や他の国も進出して、この辺りにたくさんの海外の企業などの会社があったそうだ。

1900年の義和団事件をきっかけに日本を含む8カ国連合軍が北京に進駐して権益を拡大し始めた。日本はそのなかでも最大の勢力だったようだ。この廃墟の建物も20世紀初めのその当時の建物なのだろう。

歩道橋から中を覗くと、かつての胡同が完全に整地されて空き地になっている。これから、道路やビルが整備されていくのだろう。

東の前門大街の方向を見る。かなりの広さの土地が前門大街まで広がる。通りの南側も同じように広い土地が道路に沿って確保されている。

通りの南側から東を望む。遠くに国貿の第三ビルが見えている。東京タワーとほぼ同じの高さがあるのでかなり遠くからでも見える。珠市口大街の南側では前門大街は車の通れる道となって天壇公園の西門を通ってさらに南に続く。

この項続く

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