宮門口市場 #2

by elmarit
 週末は朝から晩まであちこち行って酒もたくさん飲んだので、疲労困憊の週初めだ。土日ともに、先週までの曇りが消えて、きれいな青空になって気温も下がった。最高気温は0度とか1度ほど。先週までのコートの要らない陽気では無くなった。
宮門口市場の続き。繰り返すが、その名前は勝手につけただけで、その名前の通りがこの周辺にたくさんあるだけでこの商店街にそういう名前があるわけではないと思う。それから名前と言えば、この宮とはどこなのだろうか?門口とは入り口のことだろうから、宮の入り口という意味だと思うが、故宮であれば北京すべてが故宮の入り口のようなものなので、別の宮があるはずだが。周辺では白塔寺というチベット仏教の寺がすぐそばなので、それの入り口ということなのか。日本では宮と寺は違うが、中国では宮は寺も意味するのだろうか。
週末の午後ということもあり人通りは多く、買い物の人だけでなくたくさんの人が通り過ぎていく。
中国に来て一番の問題は中国ができないこと。2年前も出来なかったが今も出来ない。能力の問題だから仕方ないが、一番ストレスが溜まる。こういう通りを歩いて質問したいことがあっても何も聞けない。時々、写真を撮っているのを見て話しかけてくれる人もいるが、話をできない。話ができればもっといろいろな事を知ることができるのに、それが出来なくてもどかしい。
アメリカに行った時も初め大学の先生が話すことは分かるのに、マクドナルドの店員の言葉が分からなくて苦労した。でも、10年以上に渡る英語教育の基礎があるので、そのうちに何とか出来るようにはなった。
前回の話のように中国には何の興味もなかったし、中国語を学んだこともなかった。何度か出張で来たことはあったが、出張であって住んで生活をするということは考えもしなかった。赴任の命令が会った時は抵抗したが社命には逆らえないサラリーマンの宿命。
言葉も分からぬ余りきれいとは思えない街で途方に暮れて働き始めたのが2年前。言葉も出来なくて、家族も友人もいなくて、寂しいのでこのブログを始めた。始めたのは家族に無事を知らせるためと自分の精神状態を平静に保つためのペースメーカーだ。
中国語ができないので仕事と言っても通訳の人に頼りきりで自分では何も覚えない。ニューヨークの合弁会社で英語で仕事するしかなくてつらかったが、なんとかなる世界ではなく、中国語はそれ以前の問題だ。仕事のせいにして2年間怠けているので、週一の語学教室ではそんなに中国語が出来るようにはならない。
商店街から少し離れると普通の胡同になる。
(魯迅の連想から身の上話を書いていますが、すぐ終わりにします。ただお話をどこに落としていいか分からなくなりました。明日までに考えてみます。)
この項続く

You may also like

Leave a Comment

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください