北京は梅雨に入ったように毎日、雨が降る。一日中降っている訳ではないが雨がいつ降ってもよいような雨雲がずっと出ていて、夕方になると夕立のような雨が降る。この天気は北京では珍しいそうで10年来の雨だそうだ。
オリンピックに向けて雨を降らしているという人もいるが、広い範囲で雨が降っているので、これも異常気象だと思う。北京は降雨量が日本の何分の一かなので、もっと降っても良い。洪水を起こしている南部の雨がもっと北に回るくらいでちょうどいいはずだ。
今日の写真は、雨になる前の二週前の週末の散歩の時のもの。何回かに分けて紹介する。歩いたのは、先日の東単北大街と二環路(第二環状高速)に挟まれたエリア。真ん中を朝陽門南小街が南北に通る。東の端は二環路なので、一番南に地下鉄の建国門の駅がある。このエリアは、つまり地下鉄の東単駅と建国門駅の間で、地下鉄が通る長安街の北側だ。
また行った理由は先日出かけたときに、「外交部街」という胡同が映画館のすぐ北側にあるのを見かけて、調べてみると前には外交部(日本の外務省)がここにあったことが分かった。
上の写真は東単北大街から入ってすぐの辺り。
その建物の門。
店が集まった中を抜けて、さらに進む。
調べてあった外交部街33号に着く。ここに中華民国時代の外交部があったらしい。ただし、当時の外交部を思い出させる建物はすでになく、たくさんのアパートが建っている。わずかにアパートに似合わない門柱と門塀が往時をしのばせる。
中華民国が成立したのは、辛亥革命の1912年。ただし革命政府の首都は南京に置かれていたため、ここに外交部があったというのはいつのことだろう。首都は南京だったが、北京は北京特別市で各国の大使館がこの場所からも近い、東交民巷におかれていたので、政府の機能のうち外交部だけはこちらにあったのだろうか。いずれにせよ、その時代、1949年に中華人民共和国が建国されるまでの戦争と内戦の時代は中国の歴史上でも激動の時代であったはずだ。当時、この場所で何が起こっていたのだろうと考えてみた。
33号の外交部の門の隣には立派な門があり、迎賓館と書かれたパネルがあった。 そこで、どうしてこんな胡同の奥に、政府の重要な機能である外交部があったのだろうと考えた。それで思い出したのは、長安街やそのたの北京の幹線道路が建設されたのは、中華人民共和国建国以後のことで、民国の時代には北京は明朝や清朝の時代の城に囲まれた街で、そもそも胡同以外に道がなかったことを思い出した。
この場所は、故宮にも近い中心部で、各国の大使館と近いことから選ばれたのかもしれない。
迎賓館の向かいの家。
門だけ残る迎賓館。
迎賓館の門から歩いて来た西の方向を見たところ。
外交部の跡地を過ぎて、さらに東に歩く。この項しばらく続く。