先週は30度近くまで上がった気温も日曜日の雨からぐっと下がり、日曜、月曜は20度以下の肌寒い気温になった。時折降る雨のせいで余計に寒く感じる。
そんな月曜日、会議の途中で四川省の地震のことを聞いた。私や私の周りではまったくゆれを感じなかったが、高いビルにいた多くの人が感じたそうだ。
北京の普通の工事現場を見ても 地震を想定しない建て方をしているので地震の時には大変なことになるだろう。きっと四川省でもそのような建て方をした建物が倒壊して犠牲者が出たのだろうと思う。
夜になって北京にも地震が起こるというデマが流れたそうだが、政府もデマを打ち消すために地震の兆候はないと発表したが、幸いにも第二の地震は起こらなかった。
昨日の続き
前門から工事中の前門大街の裏の通りを通って大柵欄(ダ・シ・ラ)まで出る。 大柵欄は清や明の時代からの古くからの繁華街だが、1900年の義和団事件の際に日本や欧米列強の攻撃を受けて消失したそうだ。今の街はその後復興してさらに改築を重ねた街並だ。建物によっては西洋風の装飾がされたものもある。
大柵欄には北京の老舗の店が並ぶ。写真は、北京の有名な薬屋の同仁堂の建物。建物や前の麒麟の置物もなかなか立派だ。
こちらはやはり有名な生地屋。建物が西洋風だ。
こちらの店の装飾もなかなかすごいが、説明を読むと1900年以降の復興の際に作られたものものを最近になって復旧したもののようだ。
大柵欄の手前の路地。工事中のところが多いが営業している店も多い。
こちらも同じく大柵欄に着く前の路地。
大柵欄と並行する路地もレストランや小さな店が並ぶ。こちらには老舗の店はなく、地元の人向けの店が中心だ。
漢字だから意味が何となく分かるのだが、日本に比べて一般名詞の説明の看板が多い。日本ではタバコ屋に大きくタバコと書いていない気がする。
まだ食事前の時間なので閑散としているが食事の時間には道まで溢れて食事をしている風景が見えるのだろう。
少し離れると取り壊しを待つような街並だが、撤去とも書かれていないし、人が住んでいる雰囲気だ。
今も実用のものとは思えないものも置いている。
路地をどんどん歩いていくといろいろな人とすれ違う。みんな働いている人だ。
また大柵欄のメインストリートに戻る。大柵欄は明や清の時代には夜間は柵をして立ち入れなかったから、その名がついたそうだが、繁華街であり色町だったそうだが、色町は通り過ぎた裏の路地で柵の外にあったのかと余計なことを考えた。