日曜日の午後は毎週、国貿に行く。国貿は経済エリアの南の端だが地下鉄の駅があるので中心とも言える。この辺りは、CCTVビルや国際貿易センター第三ビルの建設を始めとして高層ビルの建築ラッシュである。だから、北京のシンボルとして最近収集をを始めた、青い金属の柵というか塀というか工事現場の写真を撮るのには良い場所だ。良い天気になったので、青い塀の写真の撮影に出かけた。
西の建国門方向。長安街沿いのビルの建設現場が見える。
二環路の交差点方向。長安街とのインターチェンジになっている。
国貿の地下鉄出口のひとつ。
CCTVビルと国際貿易センター。
交差点からCCTVビルは近い。インターチェンジになっているので交差点は巨大だ。
交差点内から二環路を見上げる。
交差点そばに建設中のビル。台湾会館というビルのようだ。
二環路交差点の東から西方向を見る。右が国際貿易センター。
青い塀が続く。
この青い塀の中は、7月開通予定の三環路の下を南北に通る新しい地下鉄の駅の建設現場。
別の建設現場。
工事関係の人が多い。
元は何があったのだろう。
ビルは完成しているが何を作っているのだろう。
CCTVはメインのタワーの北側にも低い棟が建設中。
ここも解体中。
環境美化もオリンピックのため。書いてある電話番号は携帯のもの。こういうものにも携帯番号が良く書かれているが、大丈夫?お風呂の最中にかかってこないの。
解体と建築の最中。
ビルの谷間の外国人向け幼稚園。
どんどん壊して。
こんなものまで壊して。
壊して壊して。
こんなに錆びるまでどれくらいの時間がかかったのだろうか。
なかなか先は見えないが。
解体が済んだら建築が始まるのだろうか。
無事故を祈ります。
もう必要ないの。
今日の仕事はお終い。でも工事は3交代で24時間続くそうだ。
日も暮れる。
日曜日の午後、毎週、国貿へ行くことは言った。その際にいつも高級ブランドの並ぶ国貿のモールを抜けて、高層ビルの中を歩く。そこを歩いているとマンハッタンでも新宿でも変わらない。無機質で何の伝統も文化も感じない、経済原則だけが価値を持つような街だ。
北京の普通の街を歩くと、今の北京は私の知っている昭和中期の日本の面影がある。経済的には中国全体では農業人口が50%少しと
いうことで、日本で言えば大正末期か昭和初期と同じらしい。その時代の日本は農村は困窮して米騒動や身売りが相次いだ時代だ。(私は生まれてはいないが)今の中国にとっても農村、農業、農民の問題が最大の課題だという。
つまり経済の近代化により国全体の問題を解決しようとしているということだ。日本の場合にはそれに戦争ということもかかわってきたわけだが。
国貿にはそんな農村の問題や古い日本の影もみえず、ひたすらビルの建築が進む。経済成長や豊かな明日にまい進する中国の力強さと一生懸命さを感じる場所だ。日本もまたそんな時代を過ごしたこともあった。
大人になるためにいつまで子供でいられないように、子供の素晴らしさを忘れて大人になってゆく。いつか子供の時代の思い出や無邪気さが失われた事に気がつく日がやってくる。
日本が50年かかった経済成長をたった10年で成し遂げた中国は、日本よりもっと無理に無理を重ねているのかもしれない。国貿だけでなく中国全体が近代化を成し遂げ、豊かになる日は来るのだろう。そして私たち日本人のように失われたものの価値に気がつくのだろう。その時には青い塀は中国中で見られるだろう。
「青い塀」は人間生活の普遍的な価値と矛盾することはないはずだが、それを忘れて観念的なモダンや経済性に走りやすいものだ。それは日本の歴史が証明している。
「青い塀」のある風景が現在の中国であり、どこに向かうか分からないが、日本人にとっては、その時代は進む方向を間違えた時代だったような気がしてならない。中国の「青い塀」の歩みが中国にとって正しい道であることを祈る。中国は今後も日本の隣人であり、中国の問題は環境問題と同じように日本の問題になる可能性は高いのだから。