文化と文明

by Shogo

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中国語はおもしろい (講談社現代新書)

中国語はおもしろい (講談社現代新書)

  • 作者: 新井 一ニ三
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/11/19
  • メディア: 新書

先日読んだ新井一二三という人の「中国語はおもしろい」という本の一節に興味深いことが書いてあった。正確な表現は忘れたが、イギリス人が言った言葉として、中国には文明があるが、日本やイギリスにあるのは文化にすぎないというのである。ここで文明と文化の優劣を論じている訳ではなく、中国の文化は中国という土地や人と切り離れても成立する。つまり普遍性を持つが、日本やイギリスの文化はその土地や国民と切り離しては成立しないということのようだ。新井さんはその例の一つとして、和食が日本でとれた食材以外では成立しないと書かれている。この和食の例には私は少し賛成できない。日本以外でも美味しい和食があり得るし、いろいろな場所で美味しい和食を食べたと思っているからだ。
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でも、文化が国民や土地と切り離せないという部分には同感できる気がする。日本では日本人として生まれないと日本人になるのが難しいと思うからだ。それはよそ者を差別するということが文化として組み込まれていると感じるからだ。農耕民族である日本人は農耕を行うため、水を共同で利用したり、同じような作物を栽培することが必要だったからだ。共同体として生きていく以外に方法はなかったからというような気がする。
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一方、アメリカのような人工的な国では、国民になると宣言して、一度、国旗に忠誠を示せば国民として受け入れられるのだろう。中国もそのような部分があるのかもしれない。歴史的に言っても、元や清のように少数民族が国を統治した時代もあり、政治体制や経済体制から言語、食文化まで人工的に統合したりしたため、普遍的なものが無い限り、広大な土地とたくさんの民族を統治できなかったからだと思う。
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その中で統治するために政治体制や法律だけでなく、あらゆる生活の側面まで、普遍的に受け入れられる法律や規則を押し付けたのだろう。そのお陰で、宗教も言葉も違う国民をまとめることが出来たのだろう。少数民族が広大な国土を支配することは本当に難事業であるはずだ。
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支配された国民は面従腹背で、支配者のルールを受け入れつつ自分の利益を守っていかなかったのかもしれない。頼るのは自分だけだったのだろう。それが国民性になったということもあるかもしれない。
日本人は元寇や第二次世界大戦を除けば、攻撃を受けて国の存亡を戦うというような経験が無い。勿論、日本国という概念が無い時代には、国とは自分の生まれた地域で、その地域=国のために戦っただろうが、所詮相手は同じ日本人で言葉も習慣も同じだった。皆殺しになる恐怖は無かっただろうと想像する。
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つまり、何となく分りあえる日本人同士ではなく、論理や賞罰と利得によって形作られてきたのが中国の考え方や生活様式なのだろう。なんとなくなっちゃった日本人やできちゃった日本国ではなく、中国という国や中国人は、誰かの意思によって影響を受けて作られてきた国や国民だいう気がする。
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多分、中国人として生まれていたら疑いもなく中国人としてのアイデンティティを受け入れて生きていたと思うが、幸か不幸か日本人に生まれて、ここまできてしまった。先は短いし、そんなに不満もない。国も経済もどうなるか分からない日本ではあるが、とりあえず私の国だ。東京の街を歩いていて、行く末に不安はあり多少疲れているものの、私だけでなく日本人はみんな何となくゆったりしているように思った。s
それは中国のように劇的な変動を経験してこなかったからかもしれない。国も社会も空気のように変わらないという前提のもとにある。明治維新や終戦などはあるものの、今後はどうせ変わらないと皆思っている。良くも悪くも変わらない、変えられないと思った時、空気として単に受け入れているだけなのだろうか。
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中国の競争社会は他人への配慮をまったく感じさせない苛烈さと自分の欲望に忠実な素直さが裏腹で、ある意味幸せなのかも知れないが、自分には無理だと思う。
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いつまで続くのか分からないが、変な外国人としてこの元気な国と人々を見ていくことにしよう。新井さんの本に、中国語はプラス思考で、日本語はマイナス思考と書いてあった。プラス思考とはその人のしゃべる中国語に分かる部分があればそれを評価するということ、対して日本語はちょっと違う部分があると日本語でないとして切り捨てるというだ。でももう少し中国語をやらないと今のままでは評価できる部分がまったくない。
写真は全て、春節の休みに東京で撮影したもの。
2月29日追記
やはりアメリカと同じように国旗への忠誠の教育は中国でも行われているそうだ。北京の小学生は朝4時とかに学校に集合して、天安門広場まで歩いて行き、国旗の掲揚を見るということである。私が見かけた人々の中にそういう小学生がいたのかもしれない。この様な授業は愛国主義教育と呼ばれ、国を愛すること、党を愛すること、母を愛することを学ぶそうである。どうしてお父さんは愛さないの?

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