花粉症で外には出たくないが、ランチの約束もあったので外出した。帰りに東京都写真美術館に寄って「深瀬昌久 1961-1991レトロスペクティブ」と言う回顧展に行った。深瀬昌久は20世紀を代表する写真家の1人だと思っている。多くの作品を残しているが、名声を確立したのは、なんといっても烏(鴉)のシリーズの圧倒的な存在感だ。これは見逃せなかった。
烏(鴉)のシリーズを初めて見た時は、何と言う荒々しく不吉な写真だと感じた。被写体のカラスが不吉だと言うのではなく、写真のプリントそのものが不吉に思えるような写真だ。海外で英語版が刊行された時に、「The Solitude of Ravens」と題されている。まさに、そのような孤独さが伝わってくる。
深瀬昌久は60年代から70年代の「アレ、ブレ、ボケ」の時代の写真家ではある。しかし、烏(鴉)のシリーズは、荒々しい粒状感はあるものの、ブレ・ボケはない。むしろ今ならPhotoshopで作るような、多重露光などの技術を駆使した多層的なイメージの作品も多い。
今となっては、烏(鴉)のシリーズは、彼が長い間連れ添った、妻と別れた後の孤独の中で撮影したことを知っている。そのような伝記的な背景を知らなくても、そのシリーズの作品としての強さは十分に伝わってくる。ロラン・バルトを引くまでもなく、その「作者の死」という観点から、作品は評価されるべきだ。深瀬の離婚後の孤独の中でのカラスの追跡を知らなくても、あるいは知る必要もなく、作品は写真の到達点の1つを示している。
2018年に刊行された全集によって、既にほとんどのシリーズは印刷物で見て知っている。今回の展示で、プリントで初めて見たシリーズが多い。長い間、写真家としては、その全貌が明らかにされてこなかったからだ。彼の私写真と呼ばれるようなシリーズからは、烏(鴉)のシリーズのような不吉さや寂しさは写ってはいない、しかしながら、写っている深瀬とその家族や妻の姿を見るにつけ、写真に取り憑かれた男としての深瀬の姿が見えてくる。自らが被写体となり写るだけではなく、妻や妻の母親まで裸にして写しているところまで行くと、もはや狂気に近い。妻だった洋子の言葉の中にもあるように、カメラを通してしか世界を見ることができなかったのかもしれない。そして最後は、自らがカラスとなり、カラスの視点で世界を見た。
1992年に、転落事故のために写真を撮れなくなってしまったことが残念でならない。1992年以降も写真を作り続けていればどのような作品を残したのだろうか。もし存命なら89歳。デジタル写真とPhotoshopの時代に、そして、スマホによるセルフィーの時代に、独自の世界を作り出していたことであろう。そう思うと残念である。
昨日は初日で、夕方にはトモ・コスガさんによるトークショーも予定されていた。既に予定が入っていたこともあり、残念ながらトークショーには参加できなかった。トモ・コスガさんによる深瀬昌久の話は、既に2018年の全集刊行時に代官山のTSUTAYAで聞いたことがあった。それに、深瀬昌久の人生と苦悩を知らずとも、数々のシリーズを見れば、彼が写真を愛したことだけわかる。