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延寿路は前門のやや南西の下町の雰囲気の残る地域の商店街。北京の他の地域にもあるような普通の商店街だ。
延寿路の周辺は遼や唐の時代の北京の街が現在の北京の南西地区にあったので、その当時は東の郊外にあたる。元の時代には城壁で囲まれた「大都」(当時の北京の名)がこの町の北側に築かれたので、南の郊外になる。北京の中心のような中国の伝統的な都市建設で作られた街ではないので、規則正しい碁盤の目のような通りはなく、曲がりくねったり途切れたりというような通りが多く、規則正しくない通りにつく「斜街」という名前の通りが多い。
昔から城内の中に住めない人が自然と形作ってきたせいか、ここが北京なのだなという、他の場所で感じる人工的な感じがあまりしない。だからこの周辺が好きなのだろう。
明の時代には、南側に外城が出来たので、このエリアは天壇公園などと同じく、外城の内側になっている。後に清の時代には、飲食、売春、阿片などの娯楽関係や高級官僚ではない漢民族はすべて内城から撤去して、このエリアを含む外城に移転させた。このため、余計にこのエリアは庶民の街の雰囲気がするのだろう。
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