綿花胡同 #2

by elmarit

引き続き、円明園のブロンズ像が話題になっている。昨日はたまたま夕方から清華大学にいたのだが、そこでも広大な清華大学の土地も元々は円明園の一部だったし、清華大学の西にある北京大学も円明園の一部で、当時は円明園は広大な広さだったという話になった。手元のガイドブックを見るとかつては周囲が20kmもあったとある。ここに中国の技術の粋を集め贅を尽くした建物や美術工芸品があったわけだが、これを略奪、焼き討ちしたのだ。

同じよう同時に円明園のやや北西にある頤和円も破壊された。ここは後に西太后が海軍の費用を流用して再建したと言われ皇帝の夏の別荘の偉容を取り戻している。ただ、このために清国海軍は軍備が整わず日清戦争で日本に敗れる原因となったそうだ。

1894年の日清戦争、1900年の義和団事件への8カ国連合軍出兵、北京進駐と日本は中国との戦争の道を歩んでいった。 このように二点のブロンズ像は中国国民にとっても歴史上も特別の意味のあるものなのだろう。昨日のCNNでは、サンローランのパートナーは中国がチベットを返したらブロンズ像も返すと発言していたが、これで一気に問題が政治化してしまった気がする。

今年はダライラマの亡命の原因となった動乱から50周年にあたり、政府は神経を尖らせている。すでに四川省のチベット自治区などでは問題が起こり始めているようだ。正確な日付はチベットなど検索するとインターネット接続が切れるので調べられないが、記憶では3月10日だったと思う。その50周年の直前に、ブロンズ像の話がチベット問題に飛び火してしまった。これからどうなるか注目される。

綿花胡同の続き。この通りのように商店が並ぶ通りが北京には私の知っているだけでもいくつもあり、現在の日本と違ってまだ大型量販やスーパーの商圏は狭い。

買い物する人や働く人が通り過ぎる。どこでもよく見かけるクレープや、生姜と唐辛子、ナッツなどなんでも買える。

この右の人のようにクレソンのような野菜を売る人をたくさん見かけた。

この項終わり

You may also like

Leave a Comment

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください