魯迅記念館 #2

by elmarit

昨日は天気予報通り雨。お昼頃から降り始めた雨は真夜中まで続いた。久しぶりの北京の埃や砂を洗い流すことができた。同僚などは人工的に雨を降らせるとニュースが伝えたと言っていたが、雨の降りやすい時を狙って雨を降らせる方法を講じるのだろうか。噂では雨を降らせる物質をロケットで打ち上げると聞いたが本当だろうか。

昨夜は日中友好に頑張りすぎたので、今朝は、ちょっと二日酔いでジムをサボることにした。

魯迅記念館の続き。記念館の庭に藤野先生の胸像が建っていた。このことは像を見るまで知らなかったので少し驚いた。北京に日本人像が建っている。予想もしていなかった。

「藤野先生」の中に出てくる、同胞の銃殺に歓声を上げる当時の中国人のように、そしてその写真を見ながら中国人を笑った当時の魯迅の日本人同級生のように、人間は、時代の流れや他人やメディアから押し付けられた既成概念を通してしか物事を見ないものだ。

過去2年間中国に住んで、現在の北京の在りようを見るにつけ、自分の中国についての固定観念が間違っていたことに気がついた。私も熱に浮かされて他人の考えを口に出すような人間の一人だ。

記念館の敷地には魯迅が故郷の紹興市の家を模して自ら設計した家が残っている。と言うか、この故居の隣に記念館を建てたといったほうが正確だ。魯迅がこの家に住んだのは日本留学を切り上げて中国に帰り、故郷に幻滅して、中華民国の職員教師として南京を経て北京に移り住んでからだ。その頃までには初期の主要な作品を発表して作家になっていた。「藤野先生」が書かれたのもこの家だ。日本への留学を終えて中国に戻ってすでに10年以上の時間がたっていた。

魯迅の日本留学時代は、日本は日清戦争や日露戦争の戦勝の熱狂にあったのだろう。多くの日本人は中国を蔑視した。その中にあって藤野先生の中国からの留学生への態度や対応は真摯なものであった。当時の社会的な中国への態度や行動からすれば、藤野先生の態度は多くの日本人には奇異に写っただろう。

魯迅はそんな藤野先生のことを唯一の生涯の師と呼んでいる。しかし、実際に魯迅が藤野先生に接したのはたかだか2年ほどのことだった。医学学校の途中で、魯迅は医学ではなく文学で中国を変えようと決意して中国に戻ったからだ。

後年、日本については「藤野先生」以外に作品を発表していない魯迅は、日本で全集が編まれる際には、必ず「藤野先生」を収録するように希望したそうだ。それは、仙台を去る時に自分の写真に「惜別」と書いた写真を贈り近況を知らせるように依頼した藤野先生と音信不通になってしまったことを悔いて、再び連絡を取りたかったからのようだ。

藤野先生は、人から魯迅が自分についての作品を発表したことを聞かされても自分からは魯迅に連絡することはなかったそうだ。

「藤野先生」は多くの中国の教科書にも採録される作品なので、藤野先生は中国でも有名であろうが、ここに藤野先生の像があることには少し驚い

た。時代の熱狂や他人の価値観ではなく、自分のものの見方を貫いた藤野先生への尊敬ということなのだろうか。もし日本人が、中国が反日教育を行っている批判するなら、魯迅記念館に来て藤野先生の像を見てもらいたい。

中国も日本も一人の人間も、一方的に型にはめて見るには巨大な存在だ。私も、藤野先生のように他人から押し付けられた価値観で物事を見ることをしない人間になりたいと願う。

魯迅故居も北京の他の四合院と似たつくりで真ん中に庭があり、南を向いた家屋に主人の居室がある。この建物の右手、東側の壁に魯迅は藤野先生の写真を掲げて自分への励ましとしていた。(写真そのものは現在は記念館にある)

1925年に植えられたというライラックの木は84年前の木というにはあまりにも細い木であった。あまり成長しない種類の木なのだろうか。

魯迅は清朝末期の19世紀末に生まれ1936年に亡くなっているが晩年は学生運動に教師として参加したり、デモで逮捕された生徒のために戦ったりして、中華民国政府から指名手配を受けるような生活も送ったようだ。清朝政府の崩壊や列強による収奪を目のあたりにして、中国という国のあり方について考えて、中国が過去の習慣や固定観念から離れて新しい国を志向すべきと考えていたようだ。この辺りが、現在の政権から評価を受ける部分でもあるのだろう。一方、藤野先生は、さきほど調べてみると終戦の直前の1945年8月に亡くなっており、魯迅より長生きをしたようだ。

裏庭に続く通路にトイレがあったが、露天でなおかつレンガで囲っただけの場所で、その結果の始末はどうなったのか分からなかった。回収するような人がいたのだろう。

とつまらないオチで、この項終わり

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